慈恵病院 特別養子縁組

エンゼルルームの彼女たち

2020-07-16

 

「慈恵病院を見つけることができなかったら、赤ちゃんは遺棄していたかもしれません」

そう話してくれたのは今年3月、コロナが爆発的に流行する直前、たった一人で北陸から当院にたどり着いた女性です。
当院が「やむにやまない事情」で保護した妊婦です。
前回もお伝えしましたように、8月からスタートする「困窮妊婦保護室」通称「エンゼルルーム」の開設許可に大きな影響を与えてくれた女性のお話しです。

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「仕事を失えば住むところも失うという派遣の不安定な生活を送っていて、今日をどう暮らすか、自分の生活でいっっぱいで。そんな中での妊娠でした。

赤ちゃんの父親は妊娠を告げると音信不通になりました。両親とは折り合いが悪く頼ることはできない中、どうしたらいいのかと思い悩むうちに中絶ができる時期をすぎてしまいました。

結局、最初の妊娠確定の診断の時から一度も病院へ行けず、出産間近までどう過ごしたらいいか、どこで産めばいいのか不安でたまらない毎日でした。そんな時、「妊娠 育てられない」で検索したら慈恵病院がヒットしました。

メールを送ると相談員さんたちが親身になって話を聞いてくれ、不安だったことを一つ一つ丁寧に取り除いてくれました。

相談を重ねるうちに、ここで出産し特別養子縁組に託すことを決意しました。

病院が用意してくださった部屋で1か月近くを過ごしました。安心して出産ができ、赤ちゃんが元気よく生まれてきた姿を見てほっとしました。

「今の自分ではこの子を幸せにはできない。養親さんの元で幸せに暮らしていってほしい・・・」と願い託しました。

妊娠がわかってここにたどり着くまでは、誰にも相談できず一人でとても孤独でした。その孤独は経験した人にしかわからないと思います。もし、ここにたどり着けていなかったら、自宅で産んでどこかわからないところに遺棄していたかもしれません。孤独はそれほど人を追い詰めるのです。

逆を言えば、誰か一人でも自分の味方がいてくれたら道は必ず開けるという事も知りました。

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『ご飯食べましたか?』

『好き嫌いしてませんか?』

『早寝早起きしていますか?』

『夜更かしはだめですよ!』と、毎日毎日心配してもらったこと

あたたかいご飯を三食用意してもらったこと。その事は心も身体もほぐしてくれたと思っています。

ここに来て赤ちゃんを託すことができて、これからはちょっとだけ自分の人生についても先のことを考えられるようになってきました。それは、相談員さんや病院のスタッフの皆さんの温かい気持ちのおかげだと思っています。

だから、もし、今自分と同じように孤独で苦しんでいる人がいたら、一人で悩まないで勇気を出して慈恵病院にメールでも電話でもいいからしてほしいなと思います。」

綺麗に掃除された部屋と、温かい食事、何気ない会話。私たちが「当たり前」だと思うことを経験したことのない彼女たちにとって、話ができる人がそばにいることはもちろんですが、衣食住の環境が整うことは気持ちに大きな安定をもたらすという事を、改めて彼女たちに教わったように思います。