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日本テレビ ドラマ「明日、ママがいない」放送に当たりまして
はじめに
日本テレビによる「明日、ママがいない」放送に当たりまして当院のお願いが一種の論争を引き起こす形となったにも関わらず、皆様に十分な情報が伝わりにくくなっていることに対し、深くお詫び申し上げます。
記者会見では、今回のお願いを申し上げる背景についてもご説明させていただきました。
しかし、限られた紙面や放送時間では私たちの考えが十分に伝わらず、励ましのお言葉、お叱りのお言葉を頂く中で、誤解を招く状況が生じていることを心配しております。
そこで、少しでもご理解いただければと、私たちの考えをホームページ上に掲載させて頂くことに致しました。
今、私たちが問題にしているのは一般家庭のお子さんだけではなく、児童養護施設へ入所する前に家庭で虐待を受けたお子さんの、傷ついた心のケアの問題です。虐待を受けた中には、トラウマ(心的外傷)の影響から脱却できないケースがあります。友達が冗談で投げかけた「ポスト」「ロッカー」「ドンキ」などの言葉も、虐待を受けた子どもの心には刃物のように突き刺さり、フラッシュバックの引き金になりかねません。
全国児童養護施設協議会は放送以前から内容を問題視し、12月に内容変更の申し入れをしていました。それにも関わらず第1回が放送され、実際に影響を受けたお子さんがいらっしゃいます。第2回の放送内容では過激な印象が薄れて少し安心しましたが、差別的なあだ名で呼び合い、施設のお子さんがペットショップの犬扱いされる部分につきましては変化がなく、残念な思いです。
ホームページでは当院の考え方のご説明、テレビ局とのやり取り、病院に頂きましたご質問へのご説明を掲載させていただきました。
どうぞご理解を賜りますようお願い申し上げます。

 

 

聖粒会 慈恵病院
文責:産婦人科部長 蓮田健

 

第1回放送分の問題点について
私たちが問題として考えている部分は以下の通りです。
ほかにも問題点はありますが、議論が長引いて子どもたちに悪影響を及ぼすことを避けるため、以下の2点に絞りました。

 

 

(1)児童養護施設(グループホーム)入所中の子どものあだ名設定

ポスト:赤ちゃんポストに預けられたから。
ドンキ:母親が交際相手の男性を鈍器(灰皿)で殴る傷害事件を起こした。
ロッカー:コインロッカーに捨てられた子。
ボンビ:親が貧乏のため預けられた。ボンビはビンボウの逆読み。
オツボネ:17歳になっても里子としての貰い手がいない少女。

施設の子どもが学校などで友達から、「ポスト」「ロッカー」などとからかわれ、傷つかないか心配しています。最近の施設では虐待を受けて入所する子が増えています。既に傷ついている子どもたちを、さらに傷つける事態にならないための配慮が求められるはずです。

 

当院は「赤ちゃんポスト」の呼称ではなく「こうのとりのゆりかご」を用いていただくよう、お願いしております。「ポスト」は預けられた赤ちゃんの尊厳を傷つけてしまうと考えるからです。
預けられた赤ちゃんに出会うのはいつになってもつらい事です。保護すべき親がいない状態の赤ちゃんを見ていると、「他の赤ちゃんの2倍、3倍幸せになって欲しい」と願わずにいられません。
しかし現実には、私たちが預けられた赤ちゃんに会う事を許されていません。プライバシー保護の観点から、そのようなルールになっています。
赤ちゃんのその後について第3者から情報をいただくことはありますが、赤ちゃんの行く末について、いつも心配しています。もしも赤ちゃんが「ポスト」と呼ばれるような事があれば、本人だけでなく周囲の大人にとってもつらいことです。 報道によれば、「こうのとりのゆりかご」に預けられた赤ちゃんの養親さんがドラマを見てつらい思いをなさっていると伺いました。

 

このようなあだ名の使用は視聴者にインパクトを与えるかもしれませんが、被害を受ける子どもの存在が懸念されます。ドラマの中には感動的な部分、勉強させられる部分もあります。その展開のために、あだ名をどうしても使わなければならなかったのか、疑問に感じます。

(2)グループホーム施設長の子ども達に対する以下の発言

【施設内で朝食を食べる前の発言】
よしっ!泣け。
どうした?
芸のひとつもできないのか。
そんなことじゃ、もらい手はつかんぞ。
いいか?
ここにいるお前たちは、ペットショップのイヌと同じだ。
ペットの幸せは飼い主で決まる。
飼い主はペットをどうやって決める?
かわいげで決める。
時に心を癒すようにかわいらしく笑い、時に庇護欲をそそるように泣く。
初対面の大人を睨めつけるようなペットなんざ、誰ももらってくれない。
イヌだって、お手くらいの芸はできる。
分かったら泣け。
泣いた奴から食っていい。
きたなく泣く奴があるか!
かわいげを見せろと言ったんだ。
【ダイフクと呼ばれる男の子が里子として適応できず、グループホームへ戻って来た行為を指して】
下らん理由で逃げ出して。
イヌのくせにしっぽの振り方も知らない。
そんなイヌは、いつ捨てられても文句は言えない。

このような発言は施設の子や里子の名誉を傷つけるものです。「施設では泣く練習をさせられるの?」という質問だけでも、子どもは傷つきます。

 

過去に似たような事例があったと伺っていますが、それは数十年前の事。国の方針で新しい形態に変わりつつある中で、あたかも現代においてそれが行われているかのように描くのは問題です。

 

グループホームが運営され始めたのは、最近のことです。社会にほとんど認知されていない中、子どもにとって劣悪な生活環境と受け取られかねない描写は、グループホームへの誤解を生む恐れがあります。グループホームに対する不信感が生じれば、虐待した親が子どもの入所に反対する口実にされるのではと心配する関係者もいます。「そんなバカな、フィクションドラマを引き合いに出して」とお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、児童相談所と親との間には、そのような会話が交わされることもあると伺っています。

 

「フィクションだから、いいのでは?」
フィクションとは、ドラマを見る人が現実との境界線をある程度引けることを前提とします。
警察、学校、病院を舞台にしたドラマは沢山ありますが、多くの人がそのような施設に対する予備知識を持っています。例えば学園ドラマで過激な描写がなされても、ほとんどの人が学校生活を経験していますから、「あんな事は実際の学校ではあり得ない。あくまでフィクションだ」と判断できるはずです。
しかし児童養護施設の場合、現代におけるその姿を知っている人は、どのくらいいるでしょう。養護施設と養護学校の違いさえ分からない人もいるのではないでしょうか。グループホームの事を知らない人は、もっと多いと思います。
子どもがフィクション作品を評価するのは、もっと困難です。 例えば、幼稚園児がウルトラマンの怪獣は世界のどこかにいて「いつか自分の街に来たらどうしよう」と心配するようなもので、大人にとっては明らかに非現実的でも、子どもにとっては分かりません。
そのような中で、グループホームが現実とかけ離れた劣悪な環境と表現されれば、誤解が生じます。これまで施設が大集団で行われ、そのマイナス面が指摘される中、子ども達に家庭的な環境を提供できるグループホームは、厚生労働省をはじめ多くの人が推進に努力してきた事業です。
ドラマにあるように、ごく少数の大人による運営ですので、密室状態となり外部からのチェックが入りにくいなどの問題はあり得ます。仮にグループホームで虐待が生じたとき、大集団の施設より問題が表面化しにくいと思います。ドラマにある施設長の姿はそれを表現されているのかもしれませんが、現実とのギャップが大きく読み取ることが難しいのではないでしょうか。子どもの中には「どうして大好きな芦田愛菜ちゃんが、あんなこと言うの?」と、ドラマと現実の区別ができていない子もいました。
取材して頂きたかった
ドラマに感動的な部分や考えさせられる部分がありながら問題箇所があるのは現場の取材が少なかったということも考えられます。脚本家や番組スタッフの方が直接児童養護施設に足を運び、お子さんの姿に接したりお話をお聞きになれば、つらい内容だとしても必要性が強いということで許容できるものになっていたのではないでしょうか。「こうのとりのゆりかご」の現実についても当院にお越しいただいたり関係者の話をお聞きになれば、「ポスト」というあだ名が使用できるものではないことはご理解いただけたはずです。これらのあだ名で呼ぶことは、虐待を受けた子どもにとってフラッシュバックを引き起こす原因になります。「ポスト」「ドンキ」「ロッカー」などのあだ名をどうしても使用しなければいけないのなら、その必然性も同時に表現していただくべきと思います。
昨年11月に「こうのとりのゆりかご」と題したドラマがTBSから放送されました。
この時は脚本家やスタッフの方が病院にお越しになり、現場の人間に取材なさいました。
インタビューの途中で脚本家の方が話の内容に涙を流された事は強く記憶に残っています。
この方なら私たちが心配するような脚本をお作りにならないだろうという安心感を持ちました。
それでもテレビ局と当院の意見や見解に相違が生じた点は少なからず発生しました。そのたびに双方が話し合い着地点を探りました。議論が白熱し決裂しかけたこともありました。
特にドラマの中で看護部長役の薬師丸ひろ子さんが預け入れた実母さんに電停で声をかけるシーンでは、お互いが譲らない状況に陥りました。
実母さんを追いかける行為を現在当院では行っておりません。そのようなシーンを見た視聴者の中には、「こうのとりのゆりかご」に行けば身元が特定されてしまう事を恐れて預け入れを躊躇する人が出てくるかもしれません。そのことが原因で赤ちゃんに危害が生じることを恐れているのです。実母さんを特定し、説得して養子縁組を認めてもらえれば、早期に家庭的な環境の中で育つことができます。集団生活の結果、赤ちゃんが愛着障害を来す危険性を私たちは心配していますので、本当は実母さんを追いかけて特別養子縁組をお願いしたいのです。ですから、思いとは裏腹にこのシーンの削除や変更をお願いしました。
しかし、プロデューサーの方は、「この設定はドラマの演出のためにどうしても必要だ」と述べられ一歩も譲られません。長文になりますのでその理由については割愛させていただきますが、お話を伺い少し理解できたように感じました。ドラマの最後に「お母さんを追いかける行為を行っていません」のテロップを入れていただくことで決着しましたが、それまでは、厳しいやり取りが続きました。「こんな内容なら当院を取り上げていただきたくない」と申し上げる病院側と、「これはドキュメンタリーではない。ドラマの魅力のためには必要だ。それがないならしない方がいい。」と述べるテレビ局側のやり取りがありました。
今回ドラマとして取り上げていただく事に病院が同意した理由は、当院のホームページ「こうのとりのゆりかご放送にあたって」にありますが、「こうのとりのゆりかご」の現実を知っていただくことと、これから妊娠を迎える人たちに最終手段としての「こうのとりのゆりかご」の存在を知っていただきたいことの2点でした。その重要性を認識しておりましたので、大局を優先し、問題のシーンはTBSの方にお任せすることにいたしました。 実際にドラマを拝見してプロデューサーのおっしゃりたいことがわりました。「こうのとりのゆりかご」という重く難しい内容を、視聴者にわかりやすく飽きさせずに訴えるにはドキュメンタリーではなくドラマの手法がより効果的ではないでしょうか。小学生にもチャンネルを変えずに付き合ってもらい、理解してもらうには演出が必要だと素人なりに感じました。若い人たちに「こうのとりのゆりかご」を知っていただくという意味でもすばらしい作品を作っていただいたと思います。 当初は理解しがたい主張に思えたのですが、プロデューサーの気迫や自信が私たちを動かしたのだとも思います。また、「ドラマを作るときには取材をした上で会議を開き、どのような点に気をつけるべきなのか局内で話し合いながら進めています」と強調されることで、ドラマとは縁遠くメディア露出に疑心暗鬼となりがちな地方病院の信頼を得られたと思います。
「児童養護施設内での虐待など、施設のマイナス部分を出してはいけないのか」
施設や里親の負の部分を描くことに反対ではありません。沢山ある施設の中には職員による虐待、子ども間の虐待などの問題を抱えているところがあるはずです。被害に遭っている子どもを救うためにも、そのような問題に光を当てて頂くことは大切です。
ドラマをきっかけに養護施設や里親制度に関心を持っていただくことは大事だと考えています。問題点を提起していただくことも必要でしょうし、結果として施設の制度や問題点の改善に国が動き出すならば、子ども達の幸せに結びつきます。もし、その過程で傷つく人が生じても、これを最小限にとどめるための心のケアが伴っていれば、意味のあることだと思います。
子どもを虐待するのが趣味で施設職員になった人はいないと思います。
職員が問題への対応の力量不足であったり、虐待を受けた子どもの挑発等により手をあげてしまうということもあり、反省すべき点です。その背景には予算不足、職員不足から生じる子どものケアの不備なども問題です。現在の日本の職員配置基準では、一人の職員が多くのお子さんをお世話しなければならないのが現状です。一方で、施設において子どもは自分だけをみてくれる職員・大人を求め続けるといった矛盾が生じています。
ドラマに出てくるようなレベルの虐待が過去にあったことは事実ですが、それは数十年前のこと。過去を反省し、新しく望まれる姿の児童養護施設を追求してきた結果、厚生労働省が推し進める“地域に根ざしたグループホーム”という形態が進みつつある中、舞台を厚生労働省が考えるグループホームにおいて、あのように表現したことに無理があったのではないかと思います。
産婦人科の世界も数十年前と今では、かなり異なります。数十年前は産声を上げるくらいの赤ちゃんを中絶していました。バケツに入れて亡くなるのを待つのです。しかし、それは親のどうしようもない事情から泣いて頼まれてやむなく引き受けた仕事です。当時の産婦人科医を責めることができない背景もありました。しかし、少なくとも現代の日本においてはそのような中絶はありません。もし、このような場面を現代のドラマとして表現すれば、大きな誤解を招きます。
犬扱いのシーンについては、施設関係者の方も同じ思いを持っていらっしゃるのではないでしょうか。
「児童養護施設出身者は問題ないと言っている」
施設には多くのお子さんがいらっしゃいます。ポストと呼ばれても意に介さないお子さんもいらっしゃるかもしれません。また、ドラマの内容を元に施設の子をからかうお子さんは少ないと思います。しかし私が心配しているのは、心が折れてしまいそうな敏感で繊細なお子さん達です。
施設では、家庭で虐待を受けたお子さんが増えています。「両親を交通事故で亡くした」「経済的に苦しい」という背景の子ばかりではありません。虐待を受けたお子さん達の心は傷つきやすく私たち大人には一層の配慮が求められます。
施設職員を名乗る方からはこのようなメッセージもいただきました。
「周りの同級生、保護者からどう思われるのか、何を言われるのか。施設の子ども達は引け目を感じているので、他人からの評価を非常に気にします。子ども達は不安に思っているようです。ドラマを見て過呼吸で倒れた子すらいました。」
今後公表されると思いますが、ドラマの悪影響が小学生を中心に発生しています。
さらに拡大しないことを切に願います。
「テレビ局や俳優を傷つけている」「放送中止は、やり過ぎでは?」
テレビ局の方々が一所懸命にお作りになった作品です。ドラマを拝見して学ばせていただくこともありました旨は、日本テレビの方にもお伝えしました。放送中止をお願いすれば、テレビ局関係者、俳優さん、スポンサー会社にご迷惑をおかけすることは承知しております。
しかし、あだ名の設定や現実とかけ離れた虐待シーンが与える影響に対する危機感が大きく、今回のお願いに至りました。内容変更のお願いだけでも良いのかもしれませんが、あだ名が変更されない以上、今回のお願いは放送中止と同じ意味になります。
「まだ1回だから」とか「最後まで見て判断してくれ」という意見もありますが、初回の放送で傷ついた子ども(人)がいたとすれば、それ自体が問題であり、今後の放送で仮に傷つく子ども(人)が少なかったからと言って、すでに傷ついてしまった心の痛手が治る訳ではありません。今後、同じような痛手を受ける子どもが一人でも減ることを願ってのことです。
今後もさらに9~10回の追加放送が行われる予定のものですから、放送内容が分からない状況では、お子さんに対する悪影響も予測がつきません。緊急を要すると判断しましたので、「放送中止」という強い表現とさせていただきました。ご不快にお感じになった方々には、申し訳なく思っております。ただ、虐待を受けて既に傷ついている子どもたちがさらに傷つかないよう、手だてすることの方を最優先されるべきと考えます。
先日、ある里子さんが「ドラマを見てから笑わなくなった」との連絡を受けました。里親さんは、虐待された記憶がフラッシュバックしたのではないかと心配されています。まだ小学生のお子さんで、昨年は元気よく遊び回る姿を拝見していましたので、私も大変つらい気持ちです。このような事態を懸念し、強い表現にさせていただきました。
そして今、学校ではいじめが増えています。いじめは受ける側の問題です。同じことを経験したり言われても、何とも思わない(ダメージを受けない)子もいます。 しかし、教育現場で必死にフォローしているのは、そのことによって傷ついてしまった子どもたちの存在です。少数派の子どもを切り捨てるのではなく、彼らの気持ちを理解して対応することが、第一とされているのではないでしょうか。弱い立場の子どもを守るのが、社会の使命だと思うのです。
児童養護施設に入所している子どもの6割以上は、虐待の経験があるといわれています。現代社会において人権侵害の最たるものが“虐待”であり、傷つけた親の大半がそれに気づいていないことこそ、子どもたちの心の傷を大きくしている原因の一つだと、大人や社会が気づいてくれることを願っています。
特別な配慮とご理解を、心よりお願い申し上げます。
「名誉毀損で訴えるべきでは?」
ドラマによって傷つくお子さんや職員さんが発生することを予想しましたので、謝罪をお願いしました。しかし当院に謝罪をお願いしている訳ではありません。
また、何よりもお子さんが傷つく事、つまり問題部分の放送の回避が優先されますので、BPOへの審議依頼の中では謝罪項目を設けていません。
今回のドラマが「こうのとりのゆりかご」に預けられた赤ちゃんの名誉毀損に当たるかどうかの判断は(実害が表に出ていないため)人によって分かれると思います。少なくとも当院の名誉毀損には当たらないと考えております。
「売名行為では?」
民間の中小病院にとって、今回のような行動は大きなリスクを伴います。
経営面から考えると、テレビ局には何も申し上げない方が良いとも思います。
イメージが攻撃的なものになってしまいますので、今回のような行動は病院にとってもマイナスです。
さらには「こうのとりのゆりかご」も、経営上は負担の大きい事業です。
ただ、共通して申し上げられるのは、赤ちゃんを含めた弱い立場にある子どもを守るということ。その後、里親・乳児院・児童養護施設でつらい過去を乗り越えるために苦しんでいる子ども達に、さらなる苦しみを感じさせたくないという、必死な気持ちが動機になっているのです。
今後のお願い
1月15日の第1回放送内容は、児童養護施設で生活する敏感な子どもたちに与える影響が大きいと予想されるものでした。1月16日の時点ではさらに10回の放送が予定されていると伺い、さらに1月18日の時点では既に7回分が収録を終えているとの情報を報道関係者様からいただきました。放送が重なることによる悪影響を危惧し、日本テレビには放送中止をお願い致しました。
しかし、1月27日には日本テレビによる放送継続の意向が表明されました。さらに残りの放送回数が7回であること、第4話も収録中で、完成している台本は第5話までと報道で確認致しました。私どもとしましては、今後の放送を見守るしかない立場にあります。
今後の放送でも、施設のお子さん方が傷つくようなあだ名が連発されはしないかと心配でなりません。その一方で、もしかするとテレビ局の方々が修正なさったものを放送してくださり、それが大きく問題にならない方向へ転換されるのではないかと期待もしております。
児童養護施設、里子、特別養子縁組には、さまざまな課題があります。
しかし、社会から目を向けてもらえることは少なく、改善が速やかには進みません。
現状のマイナス面も含めて、視聴者の皆さまにメッセージを送っていただき、この問題を考える機会にして頂くことを願っています。
【追記1】 フラッシュバック回避のためのお願い
被虐待経験者、児童養護施設関係者、里親、養親の皆さまへ
1月29日、全国児童養護施設協議会より「明日、ママがいない」視聴に伴う悪影響の4事例が発表されました。その中には、女子児童による自傷行為も含まれていました。そのほかにも発表されていない事例があると伺っています。また、今回は全国の約600施設のうち、67施設のみを対象にした調査でした。さらにこの調査自体が、「子どもたちの心理面への負担に配慮し、子どもたちに対する一律の聞き取りや積極的な確認等は行っておりません」(全国児童養護施設協議会)との前提であることから、ドラマによる影響は私たちが予測した以上に深刻だと思われます。
ドラマの第1回放送内容が、児童養護施設のお子さんや職員を傷つける内容と判断し、当院は日本テレビに放送中止のお願いを致しました。しかし、日本テレビの大久保好男社長は、1月27日に全9話の放送を発表されました。スポンサーが全社CM見合わせている中での放送継続決定ですので、当院がこれ以上、中止をお願いしても状況は変わらないと考えます。
一方で、2月1日に日本テレビの担当者が当院を訪問され、ドラマ内容について子どもへの悪影響がないよう最大限の努力を図ると述べられました。今後の放送内容を把握しておりませんので心配をしておりますが、日本テレビの皆さまのご配慮を信じて、今後の放送を見守らせていただきたいと思います。
先述致しましたように第1回放送後、フラッシュバックを引き起こした事例が報告されています。第2回、第3回放送分では過激な描写が減り、少し安堵しましたが、これらの放送後にどのような悪影響が生じたか、把握できずにいます。
今後の放送内容が分からない中、被虐待児および被虐待経験者の心のケアには、より慎重な対応が求められます。虐待を経験なさったお子さんや大人が皆、フラッシュバックを来すわけではありませんが、その可能性が予測できる方には、ドラマの視聴を控えていただくようお願い致します。
【追記2】 被虐待児への理解と応援を
虐待で極限状態に追い詰められた日々を過ごしている子どもたちがいます。
虐待は身体的虐待、ネグレクト(育児放棄)、性的虐待、心理的虐待の形で子どもを襲います。何も分からない幼い子どもたちが、大人の想像を絶するストレスを受けているのです。
このような体験談があります。
「蹴りが来たら、とにかく背中を向けて蹴られるのがおさまるまで待つ。お腹は痛い」
「ドッジボールで遊んでいるとき、ボールがぶつかりそうになったら背中を向ける。お腹より背中の方が、痛みが少ないことを知っているから」
子どもは、誰に助けを求めていいのか分かりません。
家庭で恐怖と絶望を味わえば、大人でさえ異常な心理状態になってもおかしくありません。ストレスに耐える力の弱い子どもなら、なおさらです。精神が崩壊するとともに、後々に深いダメージが残ってしまいます。

 

ドラマを見て発作的に自分の体を傷つける女の子が報告されました。
おそらく女の子は心に深い闇を抱えており、ドラマを見た後にそのトラウマがあふれて昔の痛みを思い出し、苦しみから逃れるために自分の体を傷つける行為に及んだのだと思います。
しかし当院には、このような声が届きました。
「少数の子どもが自傷行為をしたからと言って、私たちが楽しみにしているドラマを中止にする権利があるのですか?」
また、一部報道では「死んでいないのだからいいのでは?」という声が出ていることも伺いました。ヒステリックな子どもが過剰反応を起こしただけと受け止めている方が少なからずいることを感じます。

虐待を受けたことがない方にとって、虐待による苦痛がどのようなものか理解しにくいかもしれません。虐待被害者が何に反応して強いトラウマを抱くかは、抱く側の子どもの問題ですから、周りの大人は細心の配慮を行う必要があるのではないでしょうか。
虐待被害者である子どもには、何の罪もありません。親も含め、大人から虐待を受けることがなければ、そのような心の闇に陥ることはなかったはずです。愛して、褒めて、抱きしめてくれる人がいれば、そんな人生にはならなかったはずです。

 

今、児童養護施設で暮らす子どもの6割以上は虐待経験者と言われています。
深い傷を負った子どもが様々な人達に支えられ、「心から笑える日」をめざして歩んでいます。施設の職員をはじめとする周りの大人も、子どもを助ける努力をしています。癒されつつある子どもの心を、また深く傷つけることがないよう、理解と配慮が必要です。
なかには、被害経験を乗り越えて前向きに人生を歩んでいる方もたくさんいます。
必ずしもフラッシュバックで苦しむお子さんばかりではありません。
しかし、その中にたとえ1人でも助けを求めている子どもがいれば、前向きに歩み始めているその子の道を閉ざす権利は、私たち大人にはないはずです。
ドラマをきっかけに多くの方に関心を持っていただき、子どもたちに手を差し伸べていただきたいと願っています。